脚が攣った激痛に悶えながら目覚めると、全身が怠く、喉が痛い。37.3℃の微熱。「コロナ」の三文字が脳内をのスクリーンセーバーの如く飛び回るが、画面を消して風邪ということにしておく。熱が出ると本が読みたくなる。以前コロナにかかったときは、『転校生とブラックジャック』を読んでいた(熱に浮かされていて殆ど何も理解できなかった)。今回は『非美学』第3章を読むことにする。「地層」の概念が言わんとしていることはだいたい掴めたような気がしたが、それが運動イメージ/時間イメージの議論に接続されると途端に分からなくなる。以下印象的な部分の引用。
「<人間>を構成するものについてより倫理的な観点から言えば、ドゥルーズ&ガタリは「有機体 organisme」、「意味性 signifiance」そして「主体化 subjectivation」がわれわれをもっとも直截に拘束する地層となっていると述べる(MP197/上327)。これらをそれぞれもっと身近な言葉に置き換えれば、「健康」、「空気を読むこと」、「自己責任」に対応するだろう」 - p.150
こんなに大胆に言い換えていいのかと驚いた。そして僕はこの意味で人間である気がしない。小学校時代、先生に「空気を読め」と叱られたことに腹が立って「『空気』は"読め"ません」と口答えしたことを思い出した。